藤のルーツ 第2回

フランシスコ会家族

今回は、藤学園の設立母体である「殉教者聖ゲオルギオのフランシスコ修道会」が属している、「フランシスコ会」という大きな家族についてご紹介します。

修道生活のようなものは、世界の殆どどの宗教にもあると思います。キリスト教の修道生活は、砂漠に隠遁生活を始めた3世紀の聖人、エジプトの聖アントニオという人から始まると言われています。4世紀になると、隠遁生活ではなく、共同体生活をする修道院生活が始まります。

6世紀になると、聖ベネディクトが共同生活を基盤とする修道生活を始め、彼の書いた修道生活の戒律が、その後の修道生活の基本として用いられました。ベネディクト会は「祈りかつ働け」をモットーに、修道院に定住する生活を送りました。

13世紀には、聖フランシスコと聖ドミニコによって、定住生活ではなく、托鉢や説教をして歩きまわる新しい修道会が生まれたのです。ベネディクト会の修道院が、都市から離れた静かな田園や山奥に設けられたのに対して、この新しい形態の仲間は社会の中に入って行きました。女性も聖フランシスコの精神に倣って同じような生活をしたいと望む人々が現れますが、当時の教会はそれを認めず、女性は従来通り囲いの中に定住する修道生活を求められました。それが聖クララ会です。

聖フランシスコは、仲間たちの集りを「小さき兄弟会」と呼び、大きな修道院を建てることを禁じました。しかし、彼の死後、実際的な必要から修道院が建てられていきます。そこで、聖フランシスコの精神を守ろうとするグループと、修道院(Convent)を建てようとするグループとの間で分裂して、「小さき兄弟会」と「コンヴェンツアル会」に分かれています。その後、さらにフランシスコの理想に近いものを求めて、「カプチン会」が生まれました。

19世紀になると、教育や福祉活動をする新しい形態の修道会がたくさん生まれ、その修道会の多くがフランシスコの戒律を自分たちの生活の基盤としました。私たちの修道会も聖フランシスコの戒律に従っています。

(左)聖フランシスコ (右)聖クララ
(左)聖フランシスコ (右)聖クララ